映画「グスコーブドリの伝記」 見た感想。まだ長い。その2

森の中で家族を失い 独りになったブドリはあてもなく森の外に出る。
するとすぐに親切な農場主に拾われ、
彼の死んだ息子の代わりとばかりに家族同様に暮らし始める。
頑張り屋で文字の読めたブドリは専門書から稲の病気を治す方法を見つけたり大活躍。
数年そこで素直で実直に働くが、
今度は干ばつが来てしまい、農場主一家が飢えのピンチに。
農場主からそこそこのお給料をもらい、ブドリは都会に仕事を探しにいくことになる。
そこで専門書の著者、大学の教授に見初められ、
仕事を紹介してもらう。
それが火山の研究所。

農業・火山の研究所と、結構リアリティにそった仕事だし、
これらの仕事の描写が最初の蚕の工場と全然違う。
このあたりで、やっぱり蚕の工場での出来事は現実じゃないんだって視聴者は思い至るんじゃないかな。

初めてブドリが都会に電車で着いたとき、
ついた駅が「銀河ステーション」だった。
客も幽霊ぽい。
結果、それはブドリの夢の描写で、実際の駅は「イーハトーブ」。
でもその夢で見たこれはもう、銀河鉄道の夜のあの世とこの世の架け橋だかなんだかの、
あの駅ではないでしょうか。
そこでブドリは妹がその世界に存在していることを知ります。

あぁ、やっぱり妹はもう死んでるんだ。
けっこう悲しい話ですよね。

だからこそ、ブドリはもう「自分の存在(命)」くらいしか
持っているものが無いみたいなんです。
何か、家族の形見とか、昔から大事にしてるものとか、
そういうのが一切ない。
ブドリ自身が何かに強く心惹かれるものがあったかというと、それも無い。

つまらない男だといってしまえばそれまでですが
無欲の人の怖さがじわじわくる。

最後、ブドリは火山を噴火させることで
寒波を避け、
イーハトーブを影ながら救ったわけなんだけど、
誰もそれを知らない。
最後、教授が火山を見に来るんだけど、
そこにもブドリの痕跡はない(ように見える)。

実際、映像でブドリが火山に飛び込んだわけではなくて
ブドリが「火山を噴火させたら寒波来ない」→でも手をこまねいてる事しかできない
→「寒波が来ないようにできるなら、この命差し出してもいい」→死神「え?じゃ、そうする?」とブドリを迎えに。
→死神が、過去に妹をさらったのと同じ描写=死の世界へいざなう…
と、もう推測するしかない終わり方で、
そこにいきなり流れる主題歌の寂しいメロディ。

なんとも後味の悪さよ、この後味の悪さは何よ?と考えるに
ブドリの意志が「前向きな正義からくる自己犠牲」ではないからだと思う。
「寒波が来て、また自分や妹のような悲しい子供を作り出してはいけない!」という使命感では全然無くて
実際は「寒波が来る!ダメだ!来ないようにしたい。そうするために自分の命が代わりになるなら差し出そう。寒波嫌だから」の
「誰かのために」という自己犠牲ではなくて、「こうすべきなんだよな」ていう流れに乗っただけだから。
無欲なんだよ、ブドリは。全編通して。
誰かに認めてもらいたいわけでもなく、誰かを救いたいわけでもなかった。
ただ、そうするのがいいって思っただけ。

だから、最期のナレーションでいくら「こうしてたくさんのブドリの父と母と、たくさんのブドリと たくさんのメリ(妹)が死なずに済みました」て言われても
ピンとこないんだ。
よかったねとも思えないし、
だからといってブドリ可哀そうとも思えない。
辛い。ただただ辛い。

つまりは天災で一家がほろんだ歴史を淡々と見せられただけだったんじゃね?と思った。
一気に家族を亡くして、ただ一人生き残った青年の、死に場所を探した長い旅だった。
ただ、お疲れ様、とブドリに言いたい。

教材として、死を語るとしたら
「銀河鉄道の夜」よりわたしはこの「グスコーブドリの伝記」を推したい。
とても強く印象に残る映画でした。

でも、原作既読組にはめっちゃ評判悪い。なぜだ!!
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